仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

いぶりがっこー危機に瀕する秋田の伝統食 4

確かに農業の機械化が進んで、農作物の品種改良なども進んで、

肉体的にも随分楽になって、収穫高も増して豊かになっただろうし、

何より私たちもその恩恵に浴しています。間違いなく。

けれども、その分、田植えから収穫までに種々の機械類が(コンバインとか

ラクターというワードくらいしか頭に浮かんできませんが)必要になり、

作業は楽になったけども、そのかわりお金のかかる農業に変わってしまった。

ごっつい農業用のトラクターなどは、相当費用が嵩むであろうことは

容易に想像がつきます。

集落ごとにあるいは何軒かのグループで共同購入をして、

順番に使い回す、作業も共同で行うなどすれば、経済的にも精神的にもずっと

楽なのでは?と思いますが、ほとんど皆、各家庭、個々人で農業用機械を

購入するのが普通らしいですね。

その結果、農家が背負う農業用機械のローンに始まり、肥料や農薬、除草剤まで

購入しなければならず、総じてお金のかかる農業に変わってしまって、

農家と言っても、平日は会社勤めで、土日に農作業をするというのが

当たり前のことになったみたいです。

確か3ちゃん農業なんていう言葉もありましたね。確か、私の記憶では

じいちゃん、ばあちゃん、おかあちゃんの3ちゃんっていう意味だったような。

兎に角、お父ちゃんは会社勤めをして、昔は家にいたとされる3ちゃんが

農業を担う、担わされることになった・・・ということです。

話が滅茶苦茶それてしまいましたが、そもそも何が言いたかったのかというと、

その昔には、苦労もあって貧しい暮らしだったかも知れないけれども、

田んぼや畑に出て働くことで日々の糧を得て、皆と喜びも悲しみも分かち合える

ような暮らしがあったのではないかと想像しました。

人々の暮らしは心身ともに大地と直結していた。