仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

いぶりがっこー危機に瀕する秋田の伝統食 3

去年の秋に初めていぶりがっこを見かけた時には、丸のまま1本で

売られているものもあったのに、最近スーパーで見かけるいぶりがっこ

スライスしたものばかり。

スライスされたものしか売られていないのは、設備投資の条例か何かの

影響が現れているのかなと思いました。

その現実を垣間見て、私は「ひとりいぶりがっこ保存会」を立ち上げました。

と言っても、何か活動をしている訳ではなく、たまにどこかに出かけた時に

お土産に持って行って、その時にこの話を伝えて、ちょっと憤慨している

と言ったごく軽〜い、ポップなものなんですけどね。^^;

最近は特に、自分が感じていることは伝えないより、少しでも伝えた方が

いいような気がしていることもあって。。。

今まではあえてそういう発言を抑えてきたような気もして、

些細なことかもしれないけれど、ぼちぼちそういうところを解放していこうかな

なんて思ったりもする今日この頃なのでした。

それに大抵みんな美味しいって喜んでくれるので、

私の手柄でも何でもないけど、それが何よりだなあなんて独りごちています^^

話をまた蒸し返すようですが、結局、庶民は泣き寝入りなのか?という

私のそこはかとない疑問が、少しだけ沸々としています。

あくまでも想像ですが、江戸時代、災害や冷害なども起こって、お米が満足に

収穫できない年もあって、重い年貢の取り立てに苦しんでいたお百姓さんたちが

業を煮やして、遂に百姓一揆なるものを起こしたと、社会の教科書で習った

記憶があります。江戸時代末期やそれ以前の時代にも百姓一揆という単語を

見たような記憶があります。

果たして現代において、百姓一揆なるものが起きないのは何故なのだろう?

現代はそんな時代よりもずっと恵まれているから?

果たして、本当にそうなのだろうか???