仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

明恵上人

虹色クモの巣

先日、『怪物』という話題の映画を見てきました。

2回、見に行きました。

感動という言葉では足りないと思いますが、

映像でこんなにも表現できるということ。

映像表現の奥深さ、繊細さを感じ、とても感動しました。

単純に子供たちが美しすぎました。

それに関連して、かつて(ユング心理学を日本に紹介したことでも知られる)

河合隼雄さんの本の中で語られていた、明恵上人という鎌倉時代の高僧の話を

思い出しました。

その本の中で明恵上人が13才の時に語った言葉として、

「我、十三にして老いたり」という言葉に衝撃を受けました。

正確な話は忘れてしまいましたが、鎌倉幕府が成立する前の、

源氏と平家が攻防を繰り返していた時代に幼少期を過ごし、

今で言えば小学校3、4年生頃でしょうか?

10才前後にして、親や家族が抗争の中で死んでしまい、

身内というものをほとんどその時期に失くしてしまったようです。

13才と言っても数え年になるので、実年齢は11才くらいか、もしかしたら

それよりも幼い10才くらいだったかも知れません。

現代であれば、その年頃の少年ならゲームに明け暮れていたかも知れないような

時期に、諍いや争い、それによって引き起こされた人、しかも最も身近な家族の

生き死にを見て、生きることの虚しさを見てしまった少年の呟いた言葉が

「我、十三にして老いたり」だったのです。

衝撃を受けた結果、河合隼雄さんの「明恵 夢を生きる」、ついでに

白州正子さんの「明恵上人」まで買ってしまいました。

(白州正子さんの本は読まずに置いたままになってしまいましたが^^;)

明恵上人」は数え年の十三才にして生きる意味を失い、狼に喰われて死のうと

思い、一人山に入り、屍人が転がっている荒野に横たわったにも拘らず、翌朝

目覚めてみると、狼に喰われることもなく、またしても生き残ってしまった。

聞くところによると、狼は屍人の肉を喰らうもので、幼い少年はそこでもまた

生き延びることになったらしいです。真偽の程は分かりませんが。

その後、15才で仏門に入って仏教に生涯を捧げたということです。

(その頃が十三才だったかも知れませんね。十三才で仏門に入る少年。。。)

幼少時の過酷な経験によって、「我、十三にして老いたり」と呟いたその言葉の

インパクトは言うまでもなく、私がさらに注目したのは、明恵上人は正夢、

あるいは予知夢などの明晰夢を見る人で、生涯にわたって

夢日記をつけていたというところでした。

19世紀末に生まれたユングよりも、はるかに先んじて平安時代末期の

1173年に生まれた明恵上人がその時代に夢日記をつけて、

夢を一つの導き手として、生涯を全うしたということにも感動を覚えました。

*上の写真、文章の内容とは特に関係ありません。^ ^

左端に白っぽく映っているアーチ状のものにご注目ください。

朝、庭に出て洗濯物を干している時に、ふと目に留まったクモの巣。

(こういう見落としそうなものを見つけて、そこに美を見出したい性分で)

正確に言うと虹色ではないのですが、その瞬間の私の目にはピンクがかった

美しい色彩を放っているように見えたので、なんとなくクモの巣と夢、

つながっているような気がして。。。(見えたかなあ???^^)

つづく