昨日は、山奥に住む友人夫婦を訪ねた。
今年の8月に彼らの家で開かれる中東料理教室に参加して、
そこでの体験を詳しくこのブログにも書いたが、久しぶりに
ゆっくりと流れる時間の中で、彼らの快適な住まいを訪れた。
折しもその日はクリスマスというタイミング。
クリスマスだからではなかったが、たまたまの流れでその日になり、
私は地元のオーガニック・ワインを扱う自然食品店で
スパークリング・ワインを買って、
苦手なナビをONにして山奥の村へと向かった。
(美杉町だが、感覚的には村なので)
案の定、もうあと一歩という所で道を間違ったらしく、山を上って下って
行けども行けども民家の一軒も見えて来ず、1人で運転しながら
思わず「まだ〜?」とぼやいていた。
予定を1時間ほどオーバーして、ようやく彼らの家に辿り着くと、
早速赤々と燃える立派な薪ストーブの前に案内された。
我が家も薪ストーブはあるのだけれども、暖かさの丸みが違うと
言ったらいいのか、
格別に柔らかな暖かさに包まれる感覚は、なんとも言えない心地よさ。
その夜のディナーは、多分私が持って行ったフランス・アルザス産の
スパークリング・ワインに合うようにと用意してくれた(と思われる)
チーズに自家製の干し柿をのせたおつまみに、この家の主人が丹精込めた
在来の野菜をせいろで蒸した蒸し野菜。
私が作った完熟柚子(黄色い柚子)とハラペニョで作った柚子胡椒に、
ハラペニョ味噌がピッタリのメニュー。
さらにどこの国のものか忘れたけれども、オレンジ色をしたビーツがメインで
上にハーブや亜麻が振りかけられたクラッカーという、
ワインを片手に思いがけずクリスマスっぽいオシャレなお食事となって、
大人3人、子供のようにはしゃぎながら、次々と野菜をつまんだ。
お腹が張るほど野菜を食べてから、黒米たっぷりのご飯とけんちん汁。
野菜とは言っても、量の加減が分からず、いつまでも食べ続けたせいで
本当にお腹がいっぱいになった。(幸福すぎる食卓^^)
食後はまた暖かな薪ストーブの前で、クリスマスだからという訳ではなく、
なかなかゆっくりと訪ねる機会もありそうでないからと持って行った
「ホピの予言」の上映会。
「ホピの予言」の中で、私が特に印象的だと思うのは、
DVDの最後に付け加えられたホピの長老マーチン・ゲスリスウマ氏の
インタビュー。
マーチンがイラクや世界のその他の地域で起こっている戦争についての
質問に対して、
「山の上からボールを転がしたら、下に行き着くまで止めることはできない。
戦争は今も起きていて、第3次世界大戦はまだ始まったばかりなのだ。
私たちはしばらく耐えねばならないだろう。」
と語った言葉。
その言葉が私の脳裏に刻み込まれていた。
しばらくとは一体どれくらいの期間のことを指すのだろう?
10年?50年?100年?1000年???
私の知り合いは冗談まじりに、インディアンがしばらくと言ったら、長いぞ〜!
1万年くらいじゃないか?と言っていた。1万年って!
もはや地球終わってます😓
何度見ても、ジワ〜っとしてしまう。
知恵のある長老というのは、マーチンのような人のことだと感じる。
私たちの周囲にこういう知恵の滲み出たような長老はいるだろうか?
少なくとも、私はまだ出会ったことがない。
マーチンのような存在が持っている知恵というのは、私が想像するに、
おそらく大地と結びついた質素ながらも揺るぎない生活そのもの、
グレート・スピリットが人間に与えて下さった法に従っているという
揺るぎない自信からやって来ているのではないかと思う。
道に従う。そんな言い方もできるかも知れない。
そのことに想いを馳せると、自分という人間が吹けば飛ぶよな
根なし草のように思えてくる。
まあ軽い人間には軽い人間なりの生き方もあるかも知れない?
これまで自分が生きてきた軌跡を変えることはできないし、
在りようを変えることもできないから、それなりにやっていこうと思い直す。
その夜は薪ストーブの前に布団を敷いてもらって、温かなまま眠りについた。
夜中に目が覚めて、ふと薪ストーブを見ると、
寝る前に朝までもつようにと入れた大きな切り株の真ん中から
青い炎が上がっていた。
切り株が蝋燭になったみたいに、中心から立ち上る神秘的な青い炎を
しばらく見つめていた。
奇跡を目撃しているような、不思議な瞬間だった。
いつでも目を覚ませば不思議なこと、信じられないような奇跡は
起きているのかも知れない。
奇しくも、クリスマスの真夜中に訪れた神秘のギフト。
繋がりの連鎖の中で起こる言葉に表すことのできない瞬間、瞬間。
縁という不思議と有難さ。
生きてるってこういうこと?