仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

いぶりがっこー危機に瀕する秋田の伝統食 2

ネットで見た記事の内容がどんなものだったのか、かいつまんで言うと、

おおよそこんな感じでした。

最近(たぶん去年あたりのことだと思うのですが)、

浅漬けが原因で食中毒が起きました。

その件がきっかけになって、漬物の生産に携わるところは衛生管理を

徹底する必要があるという議論がされ、そのための条例が制定されました。

そのために例えば、いぶりがっこを作っている老夫婦2人だけの家庭でも、

衛生管理のための設備投資をする必要が生じました。

設備投資のために100万円程かかるという話になりました。

いぶりがっこを作っている、例えばですが細々と生計を立てている老夫婦に

100万円の設備投資をしてまで漬物を作り続ける余力はありません。

そういうことなら止めるしかないと、それまで続けてきたいぶりがっこ作りを

泣く泣く諦める世帯が結構出てきました。これからは設備投資できる比較的、

資金に余裕のある工場が生産するものになっていくでしょう。

土地の気候風土、伝統的な暮らしによって培われてきた伝統の味は、

食中毒という如何にもな大義名分によって、非情に切り捨てられていく。

もちろん完全になくなるわけではないでしょうが、それにしてもこれまで

各家庭の台所で営々と育まれてきた土地の食の伝統が断ち切られていくだろうと

いうことは、おおよそ見当がつきます。

これまで家庭で、例えばの話ですが、老夫婦の冬場のちょっとした稼ぎ、

楽しみとして細々と続けられてきた漬物作りを、食中毒防止、衛生管理という

名目を振りかざして、事実上奪っていく。

こういうやり方を暴力的と言わずして、何と言えばいいのでしょう?

衛生管理は必要だとしても、All or Nothingではなく、特例を認めるとか

条例ではあっても何らかの遊び(余裕と言えばいいでしょうか?)、

建前はこうだけれども、必ずしもそうでなくてもいけるよ的な

ある種の人間らしさがないと、人のための法律は、人を切り捨てていく

無慈悲なものでしかなくなる思うんですけど、皆さんはどう思いますか?

違った場面、違ったケースで、こういう理不尽なことが

数限りなくあるような気がします。

何につけても庶民は、しょうがないと、泣く泣く諦めて従う他、

道はないんでしょうかね???

(庶民は諦めればいいんだって、誰か言ってますかあ?)

こうして諦めていった先の私たちの、この国の未来って、

一体どんなものになるんでしょう???😱

(別にこの国の未来まで心配している訳ではありません。

単なる言葉の綾です^^;)