仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

Papaji 神様噺

本来ならレクチャー、あるいは講話と呼ぶべきかも知れませんが、

落語のような可笑しみ、禅の公案のような滋味あふれる

パパジことH.W.L. Poonja のお噺(対話)を

“Show me God”という動画から簡略化してザックリと紹介します。


PAPAJI - Show me God


(動画はスペイン語の字幕になっていると思いますが、設定のところで英語に変えられます)

質問者が立って、パパジの前で合掌、礼拝。

パパジ:座ってください。君の質問は偉大な質問だね。『私に神を見せてくれませんか?』これが彼の質問だ。多くの質問が寄せられるが、これは人が尋ねることのできる最高の質問だ。私は同じような話を覚えている。同じ探求、同じリクエストだ。

あるとき8才の女の子がやって来て、私に尋ねた。「神様を見せて」

私は彼女が学校に行くところだったので、「学校に行きなさい。明日、見せてあげよう」と答えた。

次の日になった。その女の子がやって来て言った。「神様を見せて。昨日、約束したでしょ」「運転手が学校に連れていこうと君を待ってる。戻っておいで。そしたら明日、見せてあげよう」と私は答えた。

すると彼女は「あなたは毎日、明日って言うわ。今朝は私は学校へは行かない。神様を見せて」(笑)

それでその女の子に「オッケー。部屋に入りなさい。神様を見せてあげよう。だけど神様に会うとき、神様に何かをあげないといけないよ。何か持ってるかな?」

「ママが学校の休憩時間の時に食べるようにって、チョコレートを持たせてくれるの。それで毎日チョコレートを持って行くの。だから神様にチョコレートをあげる」と、学校のカバンの中から取り出しながら、そう答えた。

「それなら神様にチョコレートをあげなさい。そうすれば神様はやって来る」

するとまた女の子は、「まず第一にチョコレートをあげる神様はどこにいるの?」と尋ねた。

「チョコレートをあげなさい。そうやって初めて神様はやって来るんだよ。(笑)君の手に持っているチョコレートをあげる前に神様が来るんじゃないんだ。その手を差しのべて神様にあげる。そうすると神様はそれを持って行くんだ」

子供の中には疑いというものがない。それで彼女は手を伸ばした。それから部屋の中で大きな物音がした。母親がキッチンから出てきて、大きな声で呼びかけた。「何があったの?」

女の子は母親に言った。「ママ、神様にチョコレートをあげたの。そしたら神様はチョコレートを全部持って行って、私に半分も残してくれなかったのよ。(笑)だから、私、神様の顔をピシャリと叩いたの。ピシャリとよ」それを聞いた母親は、「あなたは嘘をついてるわ。私には神様が見えないもの」と言った。

女の子は「ママ、神様が見えないの?」

「神様がどんなに私を愛してくれて、抱き寄せていてくれるか見てちょうだい。何故ママにはそれが見えないのか、本当に分からないわ。私には見えてるし、パパにも見えてる。それなのにどうしてママには見えないの?」母親はその子供が言ったことを、決して認めようとはしなかった。

それで女の子はこう言った。「絵を描くことにするわ。だって何が起きてて、神様が何をしてるのかうまく話せないもの」

そうして女の子はとても美しい神の絵を描いた。その絵は私がそれまで一度も見たことのないものだった。

私があなたに伝えたいことは、それが無垢であるということだ。

神はどこにでもいる。無垢でない人は神を見ることができない。神はどこにでも存在する。何故あなたは神を見ることができないのか?疑いを持つ者には神が見えない。疑いがなければ、神はどこにでも存在する。何故私たちは神を見ることができないのだろう?

神とあなたの間にあるヴェールは、神が見えないという疑いだけだ。

神は見ることができないもの。神はヒマラヤの洞窟で長い苦行をした後でもなければ見ることはできないだろう。そういう人々の心の中には疑いが住んでいる。

あの女の子には見ることができた。チョコレートをひとかけらあげたその瞬間にだ。

さあ部屋に戻ったら、どんな疑いもなく、手を伸ばして神にチョコレートを捧げなさい。明日か明後日、あなたはこう言うかも知れない。チョコレートをあげましたが、神はそれを食べませんでしたと。だが、あなたはそれをやらなければならない。そして月曜日には*サットサンに来る。あなたが無垢で、疑いがなければ何が起こるか分かるだろう。(パパジ:笑)

ところで、今は何が見える?今この瞬間にだ。何故明日を待つ必要がある?

 

質問者:何も見えません。

パパジ:疑いを持たないようにと言ったね。もう一度言おう。君は「見えない」と言った。これが疑いだ。疑いを取り除いてごらん。もう一度、言ってごらん。疑いをなくしたら、何が見える?

この見えないという否定の言葉、その「ない(don't)」が疑いそのものなのだ。もう一度言ってごらん。あなたの心に疑いを留めずに言ってごらん。何が見える?

質問者:神が見えます。(質問者:笑い崩れる、会場も笑いの渦に)

パパジ:エ?

質問者:神が見えます。そんなにもシンプルだなんて。笑

パパジ:さあ、こちらへおいで。そんなにもシンプル!彼は「そんなにもシンプル!」と言った。それはそんなにもシンプルなのだ。

それ(真理)はそれほどシンプルなことじゃないかね?

会場爆笑の渦に。。。

サットサン:Satsang サンスクリット語でsatは真理 sangaは人の集まり。究極の存在と共に在ること。真理に耳を傾け、語り合い、理解すること。これには通常経典を読むことや、その意味について思いを巡らし、理解すること、瞑想することなどが含まれ、その意味を日常生活に取り入れていくことなどが含まれる。(Wikipediaより)

一般的には、賢者や聖者と共に過ごし、彼らの聖なる知識に触れ、耳を傾け、瞑想する。聖なる空間を共有するというような意味で使われる言葉。

 

虚をつかれたというような質問者の笑いと紅潮した顔。それまでのシリアスな顔とは対照的に「神が見えます」と言った後の、笑い崩れてほぐれた彼の表情。そして会場の爆笑の渦。これが真理、平和というものなのかな?あなたには神は見えますか?笑