仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

お盆とユング 1

2011年のお盆に書いた過去のブログを、少しだけアレンジしてもう一度ここに復活させようと思います

(2011年8月15日に書いたようです)

昨日の昼過ぎから家族は夫の実家に出かけ、私は3匹の犬と猫1匹とともに例年通り一人家に残った。お盆ということもあって、草刈りや害獣駆除という名目で連なって裏山に急ぐハンターの車の音もなく、久しぶりに静けさを取り戻したような時間。(蝉の何重奏かだけがせわしなげに鳴り響いている)

普段よりもゆるく過ぎていく時間の中で、隣家から聞こえてくる先祖供養の鉦の音が、ひときわ静けさを感じさせてくれるとともに、家と家、誰々所有の土地という仕切り・境界線を越えて、本当は私たちが切れ目のない、ひとつながりの空間に在るのだということを思い出させてくれた。心地よく流れてくる鉦の音に、目を閉じ耳を傾けながら、普段はすっかり忘却の彼方に追いやってしまっているまだ見ぬご先祖様へ手を合わせ、感謝の祈りを捧げた。

普段、私はグレートスピリットに英語でお祈りをしている。家族やご先祖様、生きとし生けるもの、目に見えぬあまたの存在、4つのエレメントなど・・・それこそありとあらゆるものに祈りを捧げているが、私がそういう祈り方を学んだのは、たまたまアメリカにいたときに参加したピース・ウォークでアメリカ・インディアンの人たちの祈り方から学んだことがきっかけになっている。彼らは(声を出して)部族の言葉で祈るときもあるが英語で祈るときもあり(それは私たち非インディアンを交えて共に祈るという配慮からだったかもしれない・・・)ともかくピース・ウォーク、アメリカ・インディアン・ムーヴメントを通じて、日本人でありながら英語で祈るのが習慣になっている。(ただし、神社にお参りするときは日本語。これまさにカメレオン的ナンデモアリの日本人的?もとい私の個人的な癖)

昨日は、鉦の音のf/1効果?のせいか、今の私につながる父母の父と母、そのまた先の父と母・・・と途切れることなく脈々と続いてきた血縁の流れ、そして、たまたま何かのきっかけで住むことになったこの土地との縁、この土地の暮らしを築き、守り続けてきた人々のたゆみない流れ・・・それらにつながる縁が、自分の中にひたひたと流れ込んでいるように強く感じられた。

アメリカ・インディアンの人たちといたとき、祈るのは一人一人ですが、大抵彼らは声を出して祈っていました。もちろん、声を出さないで心の中で祈ることもあるだろうと思います。

つづく