仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

お盆とユング 2

今読みかけのユング自伝2(みすず書房)の「塔」というところに、

興味深い記述があったので、長くなってしまうが、

ここにその抜粋を紹介しようと思う。

*この文章を書いている最中、2011年8月15日12時19分、

ほんのわずかの間だったがきつねの嫁入り・・・

晴れた空から雨粒が落ちてきた。

What kindo of message is this?  不思議な気分。

今日は66年前、日本が太平洋戦争に負けたことを知らされた日でもある。

 

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ユング自伝 ー思い出・夢・思想ー 2 より

われわれの心は、身体と同様に、すべてはすでに祖先たちに存在した個別的要素からなり立っている。個人的な心における「新しさ」というのは、太古の構成要素の無限に変化する再構成なのだ。したがって肉体も精神も、すぐれて歴史的性質をもち、新しいもの、つまり今ここに生起するもののなかに、独自といえる個所はない。すなわち、そこでは先祖の要素がただ部分的にあらわれているにすぎないだけである。現代精神が装っているように、われわれは中世、古代、原始時代を、完全に卒業したわけではない。それどころかわれわれは、進歩という奔流に身を投じたが、その進歩のわれわれを未来へと流し去る力が凶暴であればあるほど、われわれをますます根こそぎにしてしまう。ひとたび過去が破られると、常に過去は絶滅され、前身運動を留めるものがなくなってしまう。しかしまさにこの過去との連関の喪失、根絶が「文明の不快」を生ぜしめ、またわれわれの進化論的な全背景の到達していない現在に生きるよりは、むしろ未来に、黄金時代という架空の約束のなかに生きるという混乱とせっかちさを引き起こすのである。われわれは目新しいものへと性急にとびこみ、物足りなさ、満たされぬ思い、いら立ちなどの感情の感情のたかまりにかり立てられる。われわれはもはや所有しているもののなかに生きることはできず、約束に生き、今日の光の中に住まず、未来の暗闇に住み、最後には未来が真の来光をもたらしてくれると期待している。良きものはすべて何らかの悪しきものによって購われるということ、たとえば、輝かしい科学的発見によってわれわれは恐るべき危険にさらされていることは言わずもがな、大なる自由という希望は国家への隷属の増大によって帳消しされていることを、認めようとはしない。われわれの父や祖父たちの求めたものを理解しなければ、それだけわれわれはますます自分自身を理解しなくなる。かくして、われわれは個人としての根源と、自分を導く本能とを断ち切ることに全力をあげて加担し、その結果ニーチェが「重力の精神」と呼んだものによってのみ支配される集団の一分子となるのである。

つづく