前進による改善、つまり新しい方式や工夫による改善は、
もちろんはじめは感心させるものであるが、時の経つとともに、
それらは疑わしくなり、いずれにしても高価につく。
それらは決して、全体としては人々の満足や幸福をたかめるものではない。
たいていは、人間存在のはかない甘味料である。
それはたとえば、不快な、ただ生活のテンポを速めるだけの、
そしてわれわれに昔と比べて時間のゆとりをもたせない、
迅速な報道機関のようなものである。
昔の親方(マイスター)たちは、「すべて急ぐものは悪魔の仕業」
というのがつねであった。
他方、逆行による改善は、原則として、より安価でその上永続性がある。
というのは、それらは過去のより単純で確認ずみの方法に立戻って、
新聞、ラジオ、テレビジョンなど、いわば時間節約のための新法案をすべて
出来るだけ使わないようにするからである。・・・(途中、省略)・・・
しかしそれは理性的思考の産物ではない。
むしろそれは故意に目をなかばとじ、耳に蓋をして、存在の形を見、
声を聴こうとする人にあらわれてくるような、幻像(ヴィジョン)である。