われわれの見聞の印象があまりにも鮮明すぎると、
われわれは現時点にとらわれてしまい、われらに伝わる先祖の精神が、
どのような仕方で現在を聞きわけ理解するのか、
換言すれば、われわれの無意識が現在に対してどのように反応するのか、
わからなくなってしまう。だからわれわれは、自分のうちの先祖の
構成部分がわれわれの生活と喜んで関わっているのか、あるいは逆に、
嫌ってさけているのかどうか、知らないままでいる。
内的な平安と満足とは、個人に生まれながらに具わっている歴史的家族が、
はかない現在の状況と調和するかどうかに、大いに左右されるのである。
(以上、ユング自伝 ー思い出・夢・思想ー 2より抜粋)
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*先ほど、きつねの嫁入りがあったと書いたが(ユングとお盆 2)
あれはあのとき戦争で亡くなった人々、残されて涙にくれた人々の
涙だったのだろうか・・・?
あの時代を生きて彼岸へと旅立った人たちが、今の日本の現状を見たら、
はたして何と思うだろう?
有名な杜甫の詩「春望」に 「国破れて山河在り」という一節が
ある・・・・国は滅びた。人間社会は無残にも変転していくが、
自然は変わることなく存在している、と謳った
・・・その杜甫にしても、戦争に負けたわけでもないのに、
国土はいうに及ばず、水や空気・海までが放射能で汚染され、
安心して飲める水や空気、子供たちが安心して遊び回れる大地が失われて
しまった今の日本の現状を見たら、彼らにこんな状況が理解ができるか
どうかは分からないが、何と謳うだろう?彼らにはこんな事態が起こりうる
という事自体、呑み込めないに違いない。
私たちにしても、彼らに言うべき言葉が見つけられないだろう。
すべては人類が背負ったカルマ・過去の所業の総決算だから
仕方ないんですよね、とは言えないんじゃないだろうか?
漂い流れる鉦の音・晴れた空から落ちてきた水滴・
先人の涙・そしてユング
私のコスモスで起こったシンクロ