仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

キリのない話 3

思うに、私たちの大半は、地球全体がより良い場所になることが第一の望みではなく、まず自分個人の幸福を追求する、ついでに地球も住み良いいい場所になればそれに越したことはない、そんな感じなのかも知れない。

たとえば自分個人の豊かさの追求ではなく、まずこの地球の調和やバランスを優先させてみたらどうだろう?平和や平等な社会の実現が早まる可能性もあるかも知れない。平和や調和が実現した社会になれば、個人的な豊かさや幸福もそこには含まれていて、何もわざわざそのことを願ったりする必要がなくなるんじゃないだろうか???

調和とバランスのとれた美しい地球、平和で豊かな社会の実現そのものが、どこかの政党のマニフェストみたいなもので幻想にしか過ぎないのだから、それなら個人の幸福のみを追求する方がマシだと考える人もいるかも知れない。それは私自身、分からない。

私たちは現状、資本主義という経済制度の枠組みの中で生きていて、それは結局のところ、奴隷制度と何ひとつ変わらない、と私は思っている。古代エジプトでピラミッドを作るのに労働に借り出された奴隷と呼ばれた人たち。聞いた話によると、彼らは現代人ほど勤勉に働いていたわけではないらしい。粗末ながらも自分の小屋(=家賃やローンを支払う必要のない住居)があり、何を着るべきかと悩むこともなかったし、食もそれなりに与えられて、衣食住にアクセクする必要はなかったようだ。現代人は労働の対価としてお金をもらって、それであらゆることを賄っている。そういう人が大部分を占める。ごく一部の少数の人たちが巨大な富を手中に収め、この世界のシステムを思うがままに操っている。私たちは彼らの意のままに操られる、アリにも満たないような、吹けば飛ぶような極小な存在で、それでも何とか自分の分前を手に入れようと頑張っている、涙なしには語ることができないような哀れな存在なのだ。

(これはひとつの見方であって、これがすべてだとか、正しいと主張している訳ではありません。ただいま妄想を突っ走っているところでございます)

今年あたりから経済や社会の仕組みが壊れて、大きく世の中が変化すると言われているが、是非そういう変化が起きてほしいと願っている。そして人が人であること。私が私であること。植物や動物たちが、ありのままに生きているように、人間も無理なくそう在ることができるような世界にシフトしていってほしいと、私は願っている。

私が想像するありのままでいられる世界というのは、自分が自分でいることで成立している世界。自分以外の何かになったりする必要がない世界のことだ。抽象的すぎるかも知れないが、たとえば道端にひっそりと咲くスミレをイメージしてみてほしい。スミレはスミレとしてただ咲いているだけで、それ以上でもそれ以下でもなく、ありのままにスミレであることの本性を発現させている。人間だけが政治・経済などの枠組みの中で、収奪・上下関係、その他諸々のことを歪曲させ、その中で八方塞がりの閉塞的状況を生み出し、自らを追い込んでいるように見える。(あくまでも一つの見方として、です^^;)