最近、1週間くらいの短い期間に2回もフクロウにお目にかかることができた。
三重の里山に住み始めて20年余り、夜に少し離れたところでフクロウらしき
鳥が飛んだのを見かけたり、鳴き声を聞いたりしたことはあったが、
確実に目撃したことはなかったので、短い期間で2度も目にするというのは、
何かとてもスペシャルなことに思えた。
1回目は夜8時過ぎに車のガソリンを入れに出かけた時(普段はしないこと)、
街灯も何もない里山の谷間(低地)に1軒だけポツンと離れて建っている
木工所があって、その木工所の前のガードレールの上に小さなフクロウが
(日本全国に生息するコミミズクという種類かと思われます)止まっていた。
車のライトをハイビームにしていたために眩しかったようで、通りかかった
時にクルッと頭の向きを変えてしまったので、後頭部しか見ることはできな
かったものの、間近にその姿を見ることができてちょっとワクワクした。
帰りにもう1度見れないかと期待して、車のライトを普通にして通ってみたが
同じ場所にはいなかった(当然?)。
2回目はその1週間後、かすかに雨が降っていた暖かな昼間。犬の散歩の帰り、
自宅裏の空き地の前にさしかかった時に、空き地の木の上に大きな鳥が止まって
いるのに気づいた。最初はトンビかと思ったが、なるべく音をたてないように
しずしずと通り過ぎた時、それが大きなフクロウなのだと分かって興奮した。
フクロウを刺激しないようにと気をつけながら、家に戻るとバタバタとカメラを
手に外に出て、まず離れた所からと思い、家の横の隙間からカメラを向けたが
遠すぎてどうにも焦点が合わない。それで空き地の前の道路に出てそこから
撮ろうとしたが、どうやっても焦点が合わず、何度かパシャパシャとやっている
うちに、横向きあるいは後ろ向きで目を閉じていたはずのフクロウが、何故か?
薄目を開けて明らかに私の方を見ていた。
薄目を開けている顔が少しユーモラスに見えたのだが、フクロウの側にしたら、
「何をやっているんじゃ、お前は?!」という気持ちだったのかも知れない。
その後すぐに木立の方へ飛び去ってしまった。休息時間を邪魔してしまって
申し訳ない気がしたのと、何よりも折角の聖なる瞬間を自ら台無しに
してしまったということが、我ながら残念(=愚か)だった。
けれども丸々と太った立派なフクロウが、翼を広げた雄姿を
見ることができたのはラッキーだった。何cmくらいあるのかは分からないが、
全く当てずっぽうに言うと、私の両腕を広げたよりも明らかに幅広い感じだった
ので2mはあったと思う。ビックリするほど丸々太っていて、あんなに大きい
野生の鳥を見たのは初めてだった。
何年か前の寒さの厳しい冬に、3羽の鷹が近くの電柱の上で身を寄せ合うように
止まっているのを見たことはあったが、今回のフクロウはその比ではなかった。
森の主に違いないと思った。そんな立派な鳥がこの里山に棲んでいた、もとい
棲まわれていたということを知れただけで有難かった。
私の無礼をどうかお許し下さい。
でも、できればこれに懲りずに、もう1度だけ私の前にお姿を現して下さいと
愚か者の私は願わずにはいられなかった。(この話をした友人にもそんな時に
カメラを持ち出して撮影しようなどという現代的なセンスをたしなめられた。
時すでに遅し!😞)
それでもやっぱり森の神様のようなフクロウに出会えたこと、薄目を開けたお顔
を拝見できたこと(これは『シマフクロウの森』という絵本に出てくる森の神、
シマフクロウがシャチの若者に馬鹿にされてずぶ濡れになった時の顔に似ている
と思った。気になった方は『シマフクロウの森』をご覧ください。笑う場面では
ないが、私の目にはその顔のイメージが実際に見たフクロウさんの顔のイメージ
と重なって、ちょっと笑えてしまうのだ)、そして翼を広げた雄姿を間近に見る
ことができたこと。これは私の里山暮らしの中でもトップ3に入るくらいの
出来事には違いない。
彼らのような存在が末長く、この里山に棲んで豊かな森を見守って下さることを
祈るばかりだ。「もし今度お目にかかる機会があれば、もうカメラを振り回した
りはしません」愚かな私は遅すぎる誓いをするのだった。
*あくまでも推測ですが、私が出会ったフクロウはいわゆるフクロウ(ウラル
フクロウとも呼ばれるらしい)と思われます。
アフリカオオコノハズくるるの野望というサイトの日本に生息する野生フクロウ
11種類まとめというページを参考にさせていただきました。
https://kururu-owl.com/wild-owl/