仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

夏のカマキリ・冬のカマキリ+・・・

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冬のカマキリ1

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冬のカマキリ2

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冬のカマキリ3

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晩秋の日影とクロ

晩秋が色濃くなるとともに虫たちの様子にも変化が兆して、カマキリも周囲の自然と同調するように草緑から枯れた色へと変化して、ほとんど影のようになった。

私たち人間が死ぬというと、とても大事(おおごと)のようになってしまうが、自然界のヒトビトはとても穏やかでナチュラル・・・そこには人間のように(愚かしく?)大騒ぎするような気配は少しもなくて、まさに自然に変化して消えていく。

枯葉が風に吹かれて、くるくると回りながら落ちていく様を眺めていると、妙に心が落ち着く。枯葉は植物にとっては死を意味するものだと思うが、そのエンディングはとても静かで、優雅で、風とともに少しずつ上がり下りしつつ、くるくると不規則な螺旋を描きながら大地へと還ってゆく。それが私もしくは貴方だとしたら、私たちはそれほど優雅に美しく終わっていくことができるだろうか?

土に還った枯葉は、やがて分解され土を豊かにし、新たな生命を育む土壌の一部となる。そこには少しの無駄もない。私たち人間が効率、効率と口角から泡を飛ばして大騒ぎする割には、貴重な地球の資源を貪り、人間自体が地球にとってのがん細胞のような存在に成り果ててしまっているのとは雲泥の差だ。

そのことに思い至ると、私たちは枯葉にすら恥じ入って、謙虚になって私たちの傲慢さをお赦し下さいと詫びなければいけないような気がしてくる。

そうは言っても、つい枯葉の美しさに見とれて、まだ詫びを入れたことは一度もないけれども。。。。

おまけは我が家の愛猫、クロ・・・本名はダダということになっているんだけれども、黒いのでついクロと呼んでしまっている。この近辺の草むらに出没している野良猫だったのをパンをあげたりしているうちに、我が家にたどり着いてめでたく我が家の家族になったラッキーボーイ・・・が柿の木の影(正確にはその中の物干しの支柱の影)と一体化しているところ。日差しが伸びて、柿の木の影も長くなって、部屋の外に出た黒猫がそこで日向ぼっこ。大好きな光と影、それもスッキリと晴れた朝には影も一層濃くて、おまけに黒猫まで絡んでくれて、写真は大したことはないけれども、うららかな秋の日のお気に入りの一枚☺️