仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

出産にまつわる夢 その後

2008年12月23日で幕を閉じたと思っていた出産にまつわる夢は、新たな展開を見せながらまだまだ続いているようだった・・・

☆2009年1月11日

私はどこかに席を見つけて座ろうとしていた。最初馴染みの顔ぶれがいる場所を見つけたのだが、なぜかそこには座らず一旦廊下に出て、また別のドアから入って席を探していた。

そうこうしているうちに、いつの間にか私は幼い女の子(の赤ちゃん)を抱いて、劇場をめぐる廊下を歩いていた。場面は古代ローマのコロシアムのような情景になり、すでに建物のあちこちが崩れ落ちて瓦礫に近い状態になっていた。通路は狭く人一人がやっと通れるくらいの幅で、断崖絶壁のような危ないギリギリのところを赤ん坊を抱えて歩いているような状態になり、しかも水に浸りながら歩いていた。時々抱えている赤ん坊が水に浸かってしまい、慌てて水から引き上げながら歩いていた。劇場内の客席のある場所に入ったとき、赤ん坊はグッタリしていた。

 

☆2009年3月12日

車のトランクの中か、あるいはカバンの中の寝袋のような入れ物の中に赤ちゃんが入っていた。(赤ちゃんは二重に閉じられた空間に閉じ込められていた)私は寝袋のような物の中から、赤ちゃんを取り出した。 

赤ちゃんを乳母車に乗せて、乳母車を押して歩き出した。赤ちゃんは1才になるかならないかくらいなのに、もう結構達者に言葉を話していた。それも早口で一言、二言ではなく、長いセンテンスを喋って多弁だった。私はその子が私の話す能力を受け継いで、言葉が達者なのだと思っていた。

赤ちゃんの近くに若い女の子が立っていて、何故か赤ちゃんのものと思われる赤い靴を履いていた。私は靴は赤ちゃんのだから返してもらおうと思っていた。「・・・第一その靴は赤ちゃん用なのだから、小さすぎるのでは?」と私は彼女に言ったが、彼女はそんなことはないと言って、無理やり足先を靴に押し込んで履いていた。

 

*自分自身の夢へのコメント

前年の3月4日に見た赤ん坊が自らの力でお腹を突き破って生まれてくるという夢は、それからほぼ1年後の3月12日の夢では、閉じ込められてはいたものの、ほぼ1才になり言葉を話すまでに成長していた。柔らかな女性性は枯死したのではなく、危うい状態にありながらもたくましく成長していたのだと受け止めたい。赤ん坊のそばに立っている若い女性は、その子の成長した未来の姿にも思える。赤ちゃん用の靴を無理矢理履いているため足元はまだおぼつかないが、エネルギーは赤々と行動への意志に燃えている。彼女はまもなく小さすぎる靴を脱ぎ捨て、自分にあった靴を履いて、、、あるいは靴も必要じゃないかも知れない。あらゆる束縛・呪縛から自由になって、裸足で大地を踏みしめ、しっかりした足取りで歩き出すだろう・・・というのが、私の彼女に対する希望的観測。