☆ 10月16日の夢
私のそばに知り合いの女性が2人。
1人はオーストラリア人で1人はアメリカ人。
私たちはどこか公園のような場所でくつろいでいた。そのうち
オーストラリア人の知り合いが唐突に産気づいた。
私は彼女の腰に手を当てた。出産の終盤、彼女の骨盤がグッグッと
力強く開いていっているのが掌を通して伝わってきた。
私ともう一方の友人、彼女は日本での出産の手伝いを経験してから、
アメリカで勉強して今では実際に産婦人科で看護士の仕事をしているが、
私たちは静かにその様子を見守っていた。
☆10月24日の夢
どこか教会か大学の講義が行われる教室のようなイメージの場所・・・
ベンチが一斉に前を向いて並んでいる。
隣には男の人も腰掛けているし、周囲にももちろん人がいる。
そんな中で、私のすぐ左隣で赤ん坊の頭が出てきた(=生まれた)。
が、その赤ん坊を産んだはずの女性の存在はない。私の夢の記憶が
曖昧で、その部分を思い出せなかっただけかも知れない。。。
唐突に赤ん坊の頭が出た!というイメージだった。
*この2つの夢は8月に体験した出産時の衝撃、その影響下で
見たのではないかと思う。
☆12月23日の夢
地下にも部屋がある2階建てくらいの日本家屋。大勢の人がその家の中に
いて、その中には私の古い友人も混じっている。
地下の部屋にはきらびやかな金襴の法衣のような布に包まれた赤ん坊
(恐らくは女の赤ちゃん)の亡骸が安置されている。地下の部屋には
野良犬も3匹いるようだった。
私はその布を開いて中の赤ん坊の亡骸を見ることを恐れていた。
恐れていたが見ようとしていた。
が、夢の中では実際に赤ん坊の遺体が出てくることはなかった。
*12月23日に、このブログにも時々登場している放浪の詩人ナナオが
亡くなった。ナナオは私が住んでいる亀山の家にも何度か立ち寄ったことが
あり、80年にバークレーで出会って以来(私たちが共同で住んでいた家を
いいコミューンだったねと素敵な言葉で賞賛してくれたことがあった)、
時に触れ折に触れ、気まぐれな交流があった。大勢の人がいる日本家屋と
夢の中に出てきた古い友人もナナオと縁のある人たちで、
この夢はナナオが亡くなったことと繋がっているように思えた。
**3月4日に赤ん坊がお腹を突き破って生まれてくる夢を見てから、実際の出産に立ち会い、その後も赤ん坊が生まれてくる場面が、夢に登場していた。そして年の瀬に僧衣にくるまれた赤ん坊の亡骸の夢を見て、出産にまつわるひとつの夢見が幕を閉じた。
***出産の夢にまつわる考察・・・12月23日の夢で死んでいたのは内なる女性性、あるいはインナーチャイルドだったのかも知れない。私が出産に立ち会った若い夫婦は、出産後まもなく決裂していた。若い妻の中の柔らかで繊細なインナーチャイルドや女性性が壊れていたのかも知れないと感じた。またこの時期に、知り合いや出会った人の間で連鎖的にトラブルや事故が起こっていた。それらの事故が示唆していた(と私が思う)のは、聖なるものでうまくカムフラージュされてはいるが、擦り切れて死の淵まで追いやられているインナーチャイルドや女性性からの警告・メッセージだったのではないか?あくまで想像ながら、そんな風に感じた。
私自身を含め、総体的に私たちは賢くなりすぎて、とり澄まし、無邪気で遊び心に満ちた幼心を抑圧し、ないがしろにし過ぎたのかも知れない。3匹の野良犬が示唆するものは男性性もあるが、それ以外にもワイルドさや自由=ルールに縛られないことなどもイメージできる。野良犬が示唆するあるいは想起させるものは、案外深いかも知れない。
夢の中のシンボル(私の勝手な解釈です)
*きらびやかな僧衣・・・聖なるもの、スピリチュアルなものを現している
*僧衣にくるまれた赤ん坊の亡骸・・・表面的には聖なるもの、スピリチュアルなものの中で、女の赤ちゃん=柔らかな女性性・インナーチャイルドは干からびたミイラのように死んでいた
☆トルテックの知恵の継承者、"Toltec Secret”や"Caves of Power”などの著者Sergio Magañaは著書の中で、Toltecの伝統においては夢は解釈するものではなく、実生活に役立てるもの、実践に使うツールだと仰っているので、あまり解釈にとらわれ過ぎないようにご注意を!(笑)