仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

金のさかな

夕闇迫る雪の庭

宙から降ってきた人、雪原に立つの巻?

雪が降ったりすると、温かみのあるロシア民話のことを思い出す。

想像がつかないくらい寒さの厳しい地域だからこその、子供心をくすぐって

想像の翼がはためくような心温まる物語が生まれてくるのだろうと思う。

教訓的だったり、想像力が膨らむものだったり、恐ろしげな話だったり、

内容も多種多様で面白い。

最近、時々心をかすめるロシア民話は「金のさかな」。

この世界(地球環境)と人間の心のありよう、欲望の果てしなさをあそこまで

素朴な形で、しかも真をついているのは秀逸としか言いようがない。

大抵の方は読んだか、聞いたことがあると思うが、念のために

お話の概略をここに書いておこう。

(もしかしたら記憶違いということもあるかも知れません。

その点は情状酌量ということでよろしくお願いします)

「ある貧しい海辺の村におじいさんとお婆さんが住んでいた。

おじいさんは漁師で、2人は粗末な掘立て小屋で暮らしていた。

ある日、おじいさんが漁をしていたら金のさかなが引っかかった。

おじいさんは金のさかなを海に放してやった。

金のさかなはお礼に、3つの願いを叶えましょうと言った。

おじいさんが家に帰って、その話をすると、欲深いお婆さんは

すぐに、「立派な家に住みたい」と言った。

海岸に立って、魚にそのことを伝えると、魚は「分かりました」と言った。

海には少し波が立って、空も少し曇っていた。

おじいさんが家に戻ってみると、みすぼらしかった小屋は

立派な御殿になっていた。ところが、お婆さんはそれでは満足できず、

立派なお城の女王様になりたいと言った。すぐに魚にそう言って来い。

お婆さんにそう言われて、おじいさんはまた海岸に立って、

魚にそのことを伝えた。魚は今度も「分かりました」と言った。

海は波が荒くなって、空もどんより曇っていた。

家は立派なお城となって、お婆さんは豪華な衣装を身にまとった

女王様になっていた。ところが、お婆さんはそれでも満足がいかず、

今度は海の女王になりたい!と言った。

海岸に出ると、海は荒れ狂い嵐となっていた。

魚にお婆さんの望みを告げた途端、今までそこにあったお城は

みすぼらしい掘立て小屋に、お婆さんは元通りの貧しい身なりに

戻っていた」

人間の欲望の果てしなさ、欲望がつのれば募るほど、海は荒れ、空もどんよりと

曇ってくる、というあたりが、まさに真をついている、

芯を喰っている表現だと思わされる。

今、この世界、地球で起こっていることってこれじゃない?って思う。

人間の欲望、便利で快適な暮らしを望むがあまり、自然の法則、自然の働き、

自然界に生きるその他の多くの生命を犠牲にしてきてしまった。

頻繁に起こる天変地異や自然災害、気候変動や温暖化など、

異常気象と呼ばれているが、本当にそうだろうか?

すべては人災、人間の心が起こしているとは言えないだろうか?

私にはその解決策を提示することはできないが、根本原因を探っていったら、

この「金のさかな」のお話に出てくるお婆さんのような、

自分の利益のことしか頭にないキリのない欲望に行き着くのではないかと思う。

ロシア民話の中では分かりやすく描かれているが、わたしたちの心の中にも、

このお婆さんと同じような欲望が潜んでいる。

欲望そのものが悪いとは思わない。

それは願望や夢、希望という美しい言葉や、引き寄せの法則などという

スピ系のスローガンで表現される場合もある。すべてが悪いわけではない。

ただ人間自身が自然界の一部なのだという視野を失って、まるで

自然界の覇者と勘違いしてしまったところからくる傲慢さ、

バランスを欠いた行動が招いた結果なのではないか?

撒いた種は刈り取らねばならない、という原則に

私たちは帰らなければならない、

ただそれだけのことなのかも知れないと思う。

すべては幻想、夢・幻なのだと知って、目覚める必要があると思う。

文明に甘やかされた身には厳しい試練だとは思うが、自然界の生き物たちは

いつだってそのことを知って、自然界の法則のまま、あるがままに生きてきた。

私たちに必要なことは、まず幻想・妄想で膨らんだ頭を鎮めること

(特に私💧)、落ち着きを取り戻し、自然の声に耳を澄ますこと、

そこから自分にできることをやっていくしかないな、と思う。

否、何ができるかというより、むしろ何をしないでいられるかということの方が

大事かも知れない。

雪が降り積もって美しい朝に、そんなことを思った。

(あ、これも一種の妄想で、得意の妄想を繰り広げてみました^^;)