仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

キリのない話 1

私の得意の妄想の話なのですが(しかも一方向で突き進む感じの)、結構くどくど書いてキリがなくなってしまいそうな気配なので、最後まで付き合える方はどうぞ読んでみてください。途中下車でも構いません。😺

顕在意識と潜在意識について、人形浄瑠璃のイメージが浮かんだ。

人形がこの三次元にいる、目に見えている私。後ろにいて人形を実際に操っている黒子さんたち(3人前後)を潜在意識と捉えると、ちょっと違うかも知れないが、ビジュアルがはっきりしていてイメージしやすい気がした。

人形は黒子さんたちに操られているので、人形そのものが動いているように見える。

物理次元にいる私は潜在意識に操られている訳だけれども、それなら逆に、この私の意のままになるように、黒子さんたちにこういう動きをしたいからそうなるように動かしてと、こちらの意図を明確に告げれば、結果そうなるのではないか?

これは世に言う「引き寄せの法則」と似たような考え方かも知れない。思考は現実化する。「引き寄せの法則」は潜在意識に自分が望むこと、引き寄せたい現実を、あたかもそれが既に叶ったかのようにイメージして、過去形でそうなりました(そういう結果を受け取りました)、有難うと告げるというもの。先に結果を受け取っておくとも言える。人形浄瑠璃で人形の方から黒子さんに、振る舞い方の指示を出すのとイコールだ。

まるで新しいスピリチュアルの法則であるかのようにもてはやされた感のある「引き寄せの法則」だけれども、私には昔ながらに神社にお参りして、家内安全・無病息災・商売繁盛と願うこと、いわゆる現生利益とそれほど違いがないように思える。願かけをいくぶん耳新しいレトリックを使って現代的に焼き直したものに過ぎないという気がする。

それが悪いと言っている訳ではない。誰しもよっぽどひねくれていないかぎり、普通は豊かさや快適さを求めるものだと思うし、神社にお参りして神様にお願いするのは、まあまあ健全なことだと思う。

ただそれをスピリチュアルと言っていいのかどうかは疑問に思う。