仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

夏の醍醐味 〜波と魚と鳥たちと〜 1

千代崎海岸

どこかで聞いたことのあるようなニュアンスのサブタイトルになってしまいましたが^^;、先日、家から1時間程の千代崎海岸へ、海水浴に行って来ました。娘の第一希望は、紀伊半島をさらに南に下った、水のきれいな志摩あたりの海だったのですが、その日の夜に東京に戻るというので、志摩方面まで出かけるのは現実的には少し無理があるということで、近場でたまに貝殻やシーグラスなどを拾いに行って土地勘もある千代崎海岸にしようということになりました。夏の間は一応、海水浴場になっているので、どういう状況かは分からないものの、兎に角、海であればいいだろうというかなり譲歩した、でも、こちらとしては遠出するよりは楽だし、まあしょうがないかと、留守番するつもりでいた私は最初は無理矢理、結局家族に押し切られた形で渋々出かけたのでした。(何しろ今となっては、高温多湿の夏が超苦手で、日中出かけることはできる限り避けたいと思う私であります)

千代崎海岸に着いてみると、海の家はあるもののクローズだし、海水浴を楽しんでいる人もいるにはいたけれども、それより海に入って釣りをしている人の方が圧倒的に多くて安心したような拍子抜けしたような。。。兎に角、どの辺にするか決めようと歩き出して、荷物を運びがてらおおよそこの辺という場所を決めたけれど、シャワーも水栓が元で閉めてあるのか出ないようだし、まあどこでも良かった、ミタイナ笑。

子供の方はもう大張り切りで、もうじき7才になる上の女の子は(あ、私にとっては孫です)早くも浮き輪を身に付けて浮き輪と一体化、一刻も海に入ろうと前のめり。まあまあ待ちなさいと制しながら、私も少し遅れて海へ。

海の中に入ると、結構波があって、お孫ちゃんの浮き輪につかまって、波にゆらゆら。すでに気分は極楽。娘と下の女の子(4才)もやって来て、大きな波が来たらみんなで浮き輪を中心に、「来たよ〜」とか「おっきいの来るよー」と声をかけながら波乗り。泳ぎがそれほど得意でない私たちには浮き輪は必須だけれども、それ以外は身体一つでダイナミックな気分で遊べる楽しい楽しい波遊び。

川の優しさと違って海はドシャーンっていう波の音も物凄くダイナミック!(ドシャーンじゃないよ波の音は、って思われる方もいるかも知れませんが、私のオノマトペ感覚ではドシャーンでした、あの時は^^)地球って大きいんだーっていうことをダイレクトに目で耳で肌で、全身で感じ取りました。

海の中でじっと立って浮き輪を持ってて!動かないで!!と7才の子に命令されて、動かないようにしようと思うものの、波の力が強すぎて、否応なく歩かされてしまって、自分達の居場所の目印にしているパラソルから、少しずつビーチに沿って横にずれて離れて行ってしまうのでした。それで頑張って、元の位置に歩いて戻って踏み止まろうとするものの、その奮闘も虚しく、どんどん動かされて行ってしまう。7才の子がまたも動かないでって要求するので、「動いて行っちゃうんだよ〜!」と弁明。事実だから仕方がないのです。自然の力には勝てないし、波の強さ、地球の底力を改めて身体を通して再認識しました。

波間に浮かんでいる時も、押し寄せてくる波のうねりがそれこそサーフィンができるんじゃないかと思うくらい物凄くて、まるで形をもたない生き物に押されて、引き戻されて、弄ばれている。翻弄されるというのは、まさにこういうことだと感じました。

当たり前だけど、海は生きている。生きて、呼吸している。海は、地球は、ダイナミックに動く生き物でした。あ、忘れてただけかも。。。^^;