仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

木・祈り 〜その2〜

最近、あちこちで大量に樹木が伐採される計画が持ち上がっているというニュースを耳にする。私の地元である三重県でも風力発電のために、紀伊半島を縦に走る山系に沿った山や森などの生態系が破壊される恐れがあるらしい。滋賀県でも同様の風力発電の設置のためにブナの巨木が何十本も伐採される計画が持ち上がっている(設置されるのは福井県)。驚いたことに、東京都でも神宮外苑の森の樹木1000本を伐採する計画が押し進められようとしていると聞いた。

神田警察通りのイチョウ32本を伐採するという計画を住民に情報を開示しないまま進めてきて、そのうち既に2本の立派なイチョウの木が反対する住民の意思を無視して伐採されたという。まだまだ他にも伐採計画が上がってきているらしい。それでなくても緑の少ない東京で、何故住民の意思を尋ねることもなく、それどころか無視した形、あるいは秘密裏に樹木を伐採する計画が出てくるのか?私には理解できない。

神宮外苑再開発計画を中心的に推進しているのは三井不動産だそうで、伐採した後にショッピングモールを作るらしい???これもまた全く意味不明。

企業は社会の発展を謳いながら生命の基盤を奪っていく、人の心を失くした存在、モンスターだと私は思う。かつては世のため人のためになることに、企業の存在意義があると考えた経営者がいたのかも知れないが、今となってはそれは昔話かおとぎ話のように聞こえる。ごくごく単純に言って、今のような時代にあって木を切るということは、酸素がなくなるということ、地表面の温度が上がることなど、生命の危機に直結していると思うのだが、大企業の経営者はそういう発想はしないのだろうか?彼らは一体何を拠り所にしているのだろうと不思議に思う。もちろん人としての心はとっくの昔の大昔に失ってしまったから、地球上の生命の存続を危うくさせることに手を染めることも、利益さえあがれば自分たちには関係ない、ということなのだろう。そこにどういう計算があるのか、複雑なことは考えられないので分からないけれど、ごくごく単純に考えて利益を生み出すのは(つまり消費者は)人間であり、生命の存続そのものが危うくなれば=彼ら(企業側)に利益をもたらす人間、消費者がいなくなる。つまり、結局、利益を生み出す母胎を失うことになり、そこでの計算はとらぬ狸の皮算用。彼らが描く繁栄のビジョンは空中楼閣となって、まもなく瓦解していくということになるという結論を導き出せないのだろうか?それとも人間に替わるロボットをどんどん生産して、消費者に仕立てるつもりなのだろうか?それなら人間(有機的生命体)がいなくなっても繁栄していけるかも知れない?優秀な人間のDNAだけ残して、その他の人間はエネルギー源として消費される(?)なんて話も耳にすることがあるので、そういう路線もありなのかな???全く意味不明だけど。

関連するウェブサイトのアドレスなど、ここに掲載しておきましたので、よかったら参考にしてみて下さい。

*滋賀山友会

www.shigasanyu.com

*美しいブナの巨樹(写真) https://onl.sc/R4E5v5

神宮外苑地区まちづくり

神宮外苑地区の街づくりについて https://onl.sc/KyjjPG8(キャンペーン神宮外苑1000本の樹木を切らないで〜再開発計画は見直しをchange.orgを参照ください)

神田警察通り | 街路樹を守る会HP