仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

静寂の音 〜フクロウの声を聞きながら〜

先日、フクロウが家の庭に来ていたり、夜出かけた帰りにフクロウを

見かけたという話をしたところだったが、実は。。。

その後もたて続けに草木も眠る丑三つ時に、フクロウの声を聞いていた。

 

夜の静寂(しじま)の中でひっそりと鳴くフクロウの声を聞いている。

フクロウの声を聞いているのか、静寂(せいじゃく)の音に聞き入っているのか

どちらとも分からない、ともかく聞いている。(多分、どっちも^^)

何と言っていいのか、何が言いたいのかよく分からないが、その状態が

好き?みたい。

ある本の中で、森の中に入って(だったかどうかも実はよく覚えていない^^;)

とにかく静かな場所にいてconsciousness(意識)、普遍的な意識を感じる、

というような文章に出会ったことがあった。

夜更けにフクロウの声を聞くのは、その感じに近いかなと思う。

 

家の裏手にある里山、つまり放置された自然の中は、たまに上空を飛んでいく

ジェット機やヘリコプターの音を除けば、鳥の声や草むらの中で虫たちのたてる

カサコソという音、空中でホバリングする羽虫の羽音、風が吹き過ぎていく音、

枯葉や土で埋もれた溝の中を流れていく水の音など、自然界そのものの音で

溢れている。

しばらくその中に佇んでいると、自然界のたてる音とは別の何かを感じ始める。

 

余談になるが、サイモンとガーファンクルで「サウンド・オブ・サイレンス」

直訳すると「静寂の音」という曲がある。

彼らが言うサウンド・オブ・サイレンスは、ニューヨークという大都会の中で

感じる極めて人間的な孤独がテーマになっている。

たぶん自然界の中の静けさの音とは、正反対のものではないかと思う。

 

低い山々の連なりの間にあるわずかな盆地。かつてそこには棚田があった。

山に降った雨は途切れることなく染み出して、今でも誰も来なくなった荒地を

潤している。そこには音もなく流れて辺り一帯を満たしている何かがある。

その場所の静けさを支配する静寂の音とでも言えそうな音。

夜更けに鳴くフクロウの声は、静寂の音、私たち人間界や自然界を継ぎ目なく

ひとつに繋ぎ、満遍なく流れている何かを思い出させてくれる。