仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

Papaji 神様噺 その2・・・1

☆パパジ ラマナ・マハリシと出会うの巻

パパジが師であるラマナ・マハリシに出会った時の

美しくも不思議なお話。

(おおよそこんなことを話しているというものです。

パパジの英語も分かりやすいような、分かりにくいような感じなので、、、

違っているところもあるかも知れません。

そのつもりで楽しんでいただければ幸いです^^;)


Papaji: Meeting Ramana Maharshi

1.ティルバンナマライへの道

神を直接見たという人に会って教えを乞うために、軍隊を辞めて、改めて探求の旅を始めた。リシケシにはギータ・アシュラムなど大きなアシュラムがあったので、リシケシに行って、そこのスワミ(指導者、尊師)に会おうと思っていた。スワミのもとで30〜40年も修行してきた人々に尋ねると、もう何十年もここにいるが、まだ神を直接見るような境地には達していないという話だった。

それに対して私は、「あなた方は何十年もここにいて、未だに神を見ていないと言うが、それはあなた方に問題があるのだ。神を見たいと願ったら、それは即座に起こるべきだ。なぜなら神は遍在する(どこにでもいる)のだから。すぐに現れるはずだ。私にはその方法を示してくれる師が必要なだけであって、そのために何らかの修行が必要などということは信じない。たとえばあなたが何か欲しければ、スーパーマーケットに行って買うだろう。あなたはその物を手に取ってカゴに入れ、代金を支払う。そこにいる店員がある物が欲しかったら、まず座って瞑想しなさい。そうしたらそれをあげようと言うだろうか?あなたはお金を持っていなければならない。そうすればそれは目の前にある。時間などかかるはずがない」私はいつもそんなふうに議論をふっかけた。その議論が正しいかどうか、実のところ分かってはいなかったのだが。。。当然、皆、私に腹を立てた。しかし、そこで引き下がって議論を諦めたりしなかったので、彼らは私と目を合わせようともしなかった。

私は道を示してくれる師を求めて、南へ東へ西へと、探求の旅を続けた。私に神を示してくれる師がいたら、私はその人の望むものを、たとえそれがどんなものであったとしても捧げ、私の全人生を賭けるつもりだった。しかし、そのような師に巡り会うことはできなかった。私は落胆して家路についた。現在はパキスタン領となっている故郷に戻ると、私の両親も妻も、私が働いていなかったので非常にがっかりした。私はお金を稼ぐ必要があった。マドラスで私の条件にピッタリ合う仕事があったので応募した。彼らはお金とマドラスまでの切符を送ってくれることになっていた。仕事が決まって、マドラスに行くまでしばらく間があった。

そんなある日、昼食時に私の家の門口にサンニャース(修行僧)が立っていた。とても暑かったので、私は彼を家の中に招き入れ、例の質問をしてみた。「あなたはサンニャースで国中を旅しているならば、もしや神を見たという人、そして他の人に道を示してくれる人をご存知ではありませんか?」そう尋ねると、彼はそういう人を一人知っている。その人はマドラスから200マイル程離れたティルバンナマライというところにいると答え、そこの住所を私に教えてくれた。私はマドラスに着くと仕事をせずに、神を見たという人を訪問するために、真っ直ぐティルバンナマライへと向かった。