仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

夏至の日・黒猫・白い石 3

籠あるいは袋を身に付けている間に、身体の動く振動でいつの間にか小石が落ちていくというのと、石を土の上に放置しておくというやり方。。。少しだけ方法に違いがありますが、どちらの方法も自分の思考(マインド)に頼らず、自然に委ねるというところが共通しています。

私たちがこれまで教え込まれた方法は、自分の頭で考え抜いて、その中から最善と思える方法をとる思考を中心とするやり方でした。その中では、小石が落ちたら問題が解決しているなんて、迷信かまじないか、あるいは偶然の産物でしかなく信頼に足る方法ではないと一蹴される、あるいは、自分の頭でちゃんと考えろと馬鹿にされてもおかしくない方法です。でも、思考というのは過去の経験の集積でしかなく、その中で堂々巡りを繰り返すしかない、袋小路にはまっていくことが明かな、とても限定的なやり方なのです。

石が落ちるに任せるというのは、限定的な思考を離れて、宇宙の自然なリズムに委ねて、もっと大きな流れが自分のところに流入するのを許容する、とても優れたやり方なのではないかと思うのですが、どうでしょう?

チェロキー族のように、自分の手で編んだ籠に、林や野原で集めた小石を入れるというのは、自分の手で作るという行為があり、自然の中を歩くという動作が加わることで、より自然に、いつの間にか自分の思考から自由になる素晴らしい方法、まさにネイティブの知恵だなと改めて感じました。

マヤ族のヒーラー直伝の、石に悩みを相談してその石を土の上に置いておくという方法も、大地に委ねるという大らかさとともに、宇宙や地球、大地への信頼を思い出すという意味でも確かな方法のような気がします。そうした自然の流れに委ねる方法、宇宙を信頼する道の有効性を、試してみても悪くはないとは思いませんか?ただし、石を持ち帰る際には、持ち帰っていいかどうか、まず石に尋ねることをお忘れなく!